D.J.ホールトン

D.J.ホールトン

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D.J.ホールトン
D.J. Houlton
読売ジャイアンツ #54
Giants D.J. Houlton 54.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州フラトン
生年月日 1979年8月12日(33歳)
身長
体重
193 cm
107 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 MLBドラフト11巡目
初出場 MLB / 2005年4月9日
NPB / 2008年4月11日
最終出場 MLB / 2007年9月30日
年俸 1億9,500万円(2012年)
※2012年から2年契約
経歴(括弧内は在籍年)
デニス・ショーン・ホールトン・ジュニアDennis Sean "D. J." Houlton Jr.1979年8月12日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。

目次

経歴 [編集]

米国時代 [編集]

1997年MLBドラフト55巡目でシアトル・マリナーズに指名されるが、契約せずに進学。パシフィック大学在籍中の2001年5月11日、対カリフォルニア大学リバーサイド校戦でノーヒットノーランを達成した。
同年のMLBドラフト11巡目でヒューストン・アストロズに指名され、6月9日に契約した。2002年までは1A、2003年から2004年は2Aで過ごした後に、12月13日ルール5ドラフトロサンゼルス・ドジャースに指名され、移籍した。
2005年は初のメジャー昇格を果たし、35試合登板(19試合先発)で6勝9敗、防御率5.16という成績を残した。オフにGMのポール・デポデスタ、監督のジム・トレーシーが解任され首脳陣が一新された2006年はメジャーに昇格できず、3Aでも9勝11敗、防御率5.60と不振だった。2007年はシーズン前半を3Aで過ごしたが、7月にメジャーに昇格。18試合にリリーフ登板して0勝2敗、防御率4.18だった。
シーズン終了後、福岡ソフトバンクホークスが緊急補強リストの筆頭候補に上げ、ドジャースからソフトバンクへ契約が譲渡された。

日本時代 [編集]

2008年はキャンプ中の故障で出遅れるも、4月11日に中継ぎとして初登板を果たすと三者連続三振で切り抜けた。その後、小椋真介久米勇紀と共に貢献するが、序々に打ち込まれる試合が増え、一度は降格。後半戦から先発に配置転換されると、安定した投球で北京五輪によって離脱した和田毅杉内俊哉の穴を埋める救世主的存在に成長した。しかし、徐々に対戦相手に研究されたことで打ち込まれたり、好投しても打線の援護が無く勝ち星が伸び悩んだ。
2009年は開幕から先発ローテーションに入り、杉内と並んで左右の両輪として活躍。9月5日の対埼玉西武ライオンズ戦で10勝目を挙げた。この年は対北海道日本ハムファイターズ戦に強く、6試合で4勝を挙げた。
2010年5月19日の対阪神タイガース戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で右脚を痛め、21日に登録抹消された。7月19日の対西武戦で勝利を挙げたが、9月1日に再び抹消された。10月16日クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦(対千葉ロッテマリーンズ戦)で好投して勝利を挙げたが、同年オフに球団から大幅減俸を提示され、残留交渉が難航したことにより保留選手名簿から外れ[1]12月2日自由契約選手として公示された[2]。その後も交渉が続けられた結果、ホールトンが減俸を受け入れて残留することが決まった[3]1月14日に再契約[4]
2011年は開幕から安定した投球を見せ、4月20日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(北九州市民球場)で初勝利。4月27日の対日本ハム戦では自身初の完封勝利を挙げたほか、武田勝の対ソフトバンク戦の連勝を6で止めた。7月12日の対楽天戦で2年ぶりとなる10勝目を挙げた。9月13日の対西武戦(ヤフードーム)で15勝目を記録。最終的に19勝を挙げ、田中将大と並び最多勝のタイトルを獲得した。この年に行われたクライマックスシリーズファイナルステージ(対西武)は、ホールトンが先発登板する前に3連勝(1勝のアドバンテージを含む4勝0敗)したことにより登板機会がなかった。11月16日日本シリーズ第4戦(対中日ドラゴンズ戦)は5回を投げて勝利投手となった。シーズンオフには(2010年オフと同様に)残留交渉が難航し保留選手名簿から外れ自由契約となった[5]
同年12月16日読売ジャイアンツと2年総額500万ドルでの契約合意が発表された。背番号はソフトバンク時代と同じ54[6]
2012年8月11日東京ヤクルトスワローズ戦で2011年5月3日東野峻以来、自身初&12球団今季初の投手でソロホームランを放った。シーズン序盤は勝ち負けを交互に繰り返す等不安定であったが、交流戦を境に調子を取り戻し、7月8日の阪神戦(東京ドーム)から9月8日のヤクルト戦(神宮)まで6連勝を記録。最終的には12勝8敗・防御率2.45と、セ・リーグでも十分な結果を残した。また6月16日の交流戦優勝決定戦となった楽天戦(Kスタ宮城)でも勝利投手となった。

プレースタイル [編集]

平均球速138km/h[7]速球スライダーと縦の大きなカーブチェンジアップを駆使した緩急の投球が特長。
高い制球力も持っているが、「ストライクゾーンに集めすぎる癖がある」と柳田聖人に指摘されている。

人物 [編集]

非常に手のひらが大きく、30cmを超える[8]。来日以降、の使い方に戸惑っていると語っている[9]
東京スポーツの手記で「福岡もホークスも大好きだ」と語っている[10]

詳細情報 [編集]

年度別投手成績 [編集]





















































W
H
I
P
2005 LAD 35 19 0 0 0 6 9 0 0 .400 578 129.0 145 21 52 3 8 90 2 0 79 74 5.16 1.53
2007 18 0 0 0 0 0 2 0 2 .000 113 28.0 28 5 7 0 0 21 0 0 14 13 4.18 1.25
2008 ソフトバンク 28 11 0 0 0 4 7 6 0 .364 366 84.1 82 10 31 2 3 86 0 0 44 40 4.27 1.34
2009 25 25 3 0 1 11 8 0 0 .579 680 171.0 137 22 43 0 6 138 2 0 58 55 2.89 1.05
2010 16 16 0 0 0 8 6 0 0 .571 349 79.0 97 11 25 0 1 69 1 0 52 50 5.70 1.54
2011 26 26 3 2 2 19 6 0 0 .760 680 172.1 132 8 36 0 7 121 2 0 43 42 2.19 0.97
2012 巨人 25 25 0 0 0 12 8 0 0 .600 630 158.0 116 11 44 1 8 132 0 0 46 43 2.45 1.01
MLB:2年 53 19 0 0 0 6 11 0 2 .353 691 157.0 173 26 59 3 8 111 2 0 93 87 4.99 1.48
NPB:5年 120 103 6 2 3 54 35 6 0 .607 2705 664.2 564 62 179 3 25 546 5 0 243 230 3.11 1.12
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル [編集]

NPB

記録 [編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号 [編集]

  • 27 (2005年)
  • 54 (2007年、2009年 - )
  • 00 (2008年)

脚注 [編集]

  1. ^ ホールトン交渉難航、退団も…ソフトバンク - スポーツ報知 2010年11月29日
  2. ^ ソフトバンク、ホールトンを自由契約に - 読売新聞 2010年12月3日
  3. ^ ソフトバンク、ホールトン残留へ 来季4年目
  4. ^ DJホールトン選手契約のお知らせ. 福岡ソフトバンクホークス (2010年1月14日). 2011年12月22日閲覧。
  5. ^ 【ソフトB】最多勝ホールトン自由契約に. 日刊スポーツ (2011年11月30日). 2011年12月22日閲覧。
  6. ^ 巨人がホールトン獲得 今季のパ最多勝右腕. 共同通信 (2011年12月16日). 2011年12月22日閲覧。
  7. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、129頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  8. ^ ホールトンにホレた 首脳陣くぎ付け - 西日本スポーツ 2008年2月21日
  9. ^ ソフトBホールトン「はし」に苦戦 - nikkansports.com 2008年2月28日
  10. ^ ホールトン「福岡もホークスも大好きだ」 - 2011年10月4日

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